「プライドをもって仕事をする」ことの本当の意味を考えたことはありますか?

まずは「プライド」と「自信」の違いを考えたことはありますか?

一見するとまったく同じような意味に見えますが、両者には微妙に違いがあります。

社会に出ていくにあたって、この違いを明確に理解しているかどうかで数年後、または数十年後の人生を大きく変えることになると思うのです。

結論から言うと、「自信は失ってはならないが、プライドは捨ててよい」ということです。

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「プライドをもって仕事をせよ」の勘違い

会社に入ると「プライドをもって仕事をせよ」とよく言われます。

普通に考えるとこれは非常に正しいことです。

「プライドをもって仕事をせよ」とは、自分の才能や仕事に自信と誇りを持って楽しく仕事をしなさいということです。

これを漢字で書けば、「プライドを持って仕事をせよ」となります。

ところが入社後数年経つと、「プライドを盛って仕事をしている」人を多く見かけませんか?

プライドを盛る = 虚栄心

「プライドを盛る」ということは「虚栄心」ですね。

虚栄心とはすなわち自分を大きく見せようと、見栄を張りたがる心の持ち方のことを言います。

プライドを盛ると仕事や生き方の邪魔をする

残念ながら「プライドを持っている」状態と「プライドを盛っている」状態は、周りからは良くわかりますが、自分ではなかなか気づくことができません。

「プライドを盛っている」状態は、自らの日常の大小の成功体験から、徐々に積み重ねられて自然と形成されたものだからです。

したがって自分では明らかに自然なものに感じるからです。

ただしそれらの成功体験を共有していない周りから見ると、これは極めて不自然な状態に感じられるはずです。

誰しも1度は、

「せっかくやったのに、否定されてプライドを傷つけられた」

とか、プライドが邪魔をして

「今さらこんなこと聞けない」

とか心の中で思ったことがあるのではないでしょうか?

いずれの場合も虚栄心が邪魔をして、怒りの感情や行動を妨げる感情へと自らを導いていることに気づけていない状態です。

自信は文字通り「自らを信じること」

自信は文字通り、自らを信じることと解釈していれば問題ありません。

「否定されたけどやれることはやった」

「今はできなくても、少し先の未来にはできるようになる」

そう思っていれば、それが自信です。

「プライド」も「自信」も実は自らが設定した価値基準に基づくもの

「プライド」も「自信」も実は自らが設定した価値基準に基づいていることに気づきましたか?

だから高く設定して盛ることも簡単ですし、失うことも簡単なんです。

その基準点はどこか、ということがとても重要です。

基準点は現在の自分です。

現在の自分が基準であれば、おのずと基準点を満たしているわけですから、自信が失われるわけはありません。

まとめ:盛ったプライドは捨て去り、現在の自分を信じれば良い

「プライドを持って仕事をせよ」ということは、「基準点を少しずつ上げながら仕事をせよ」ということですね。

自ら勝手に盛ったプライドは捨て去り、現在の自分を信じて自信を失わなければ良いと思います。

さらに最も重要なことは、基準点である現在の等身大の自分を見極めることです。

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この記事を書いた人

こんにちは。たかたんです。
ふと気づけば、この世に生をうけてから半世紀以上がたちました。
ほんものの「おやじ」ですね。
次の世代がより豊かな人生を送ることを願ってブログを綴っています。

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