こんにちは。たかたんです。
性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)ってなに?
性善説と性悪説のどちらが正しいの?
自分はどちらの説に基づいて生きていけば良いの?
こんな悩みを解決する記事を書いてみます。
この記事で示す「楽に生きるためのたった1つの考え方」に基づけば、ストレスのないポジティブ思考になれるからです。
この記事では、性善説と性悪説からの気づきから、「楽に生きるための考え方」をまとめてみます。
性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)
性善説と性悪説は紀元前3世紀ごろに活躍した、それぞれ孟子(もうし)と荀子(じゅんし)という思想家が唱えました。
これら2つの説は、 一見すると相反することを言っているようにみえますが、実は同じことを示唆しています。
孟子の性善説
人の本性は先天的に善であるとする説。中国の孟子が首唱したもので、人間の本性は生まれながらにして善であり、悪い行為は、物欲の心がこの性をおおうことによって生ずる後天的なものであると主張する説。
精選版 日本国語大辞典
孟子による性善説では、人は初めは善ではあるが、努力を怠って学ばなければ悪いことをするようになる。
だからしっかりと努力して学びなさい。
と言っています。
荀子の性悪説
人の本性は先天的に悪であるとする説。中国の荀子が首唱したもので、人間のうまれつきは悪であって、善なる行為は教育、学問、修養など後天的な作為によって生ずると主張する説。
精選版 日本国語大辞典
荀子による性悪説では、人は初めは悪であるが、努力して学べば、立派な人になれる。
だからしっかりと努力して学びなさい。
と述べられています。
性善説と性悪説の相違点と解釈時の注意点
ようするに性善説と性悪説は、出発点は違えども、しっかりと努力して学ぶことが重要と説いている点では、まったく同じことを言っているのです。
したがって、どちらの説が正しいかではなく、最終的にはどちらも正しいといえるのではないでしょうか。
出発点が異なるのは、孟子の性善説が人間の可能性を重視した人間中心主義であるのに対して、荀子の性悪説は、人を統治するルールの確立を重視している社会システム主義であることに依存しています。
このとき性善説に基づいて、人の本性は善であるから信じて良いと考えるのは、短絡的で間違った解釈です。
生まれながらにして善であったとしても、現時点では学びの度合いによって、善と悪が混在しています。
重要なのは、あくまでも人の善の可能性を信じるという姿勢です。
また、性悪説で示されている悪という言葉は、文字通りの悪ではなく、物欲に負けることや流されるなどを含めた広い意味での弱い心であるということです。
楽に生きるための考え方
性善説と性悪説はどちらも実に奥の深いものですが、ここではおおまかに両方の説の重要なポイントを融合し、そこから見いだされる気づきを整理してみます。
性善説に基づいて人の可能性を信じる
人を恨む、妬む、信じられないというような負の感情は、自らの心に大きなストレスを与えることは、誰しも一度は経験したことがあるでしょう。
人が何かにストレスを感じているときは、その原因に頭がいっぱいになり、いきおいそれ以外のことはあまり考えられなくなってしまいます。
ストレスが精神的にも肉体的にも良くないことは、科学的に実証されています。
ゆえにストレスを貯めない考え方が、楽に生きる考え方だということができます。
一方で人を信じられるということが、どれだけストレスのない楽なことかを体験したこともあるかもしれません。
私自身もそのような経験は何度もありますし、とりわけ家族とはその度合が非常に高いものになっています。
人を信じるまでいかなくても、将来的な可能性を信じることはできます。
自らをも含めて、人の可能性を信じることができれば、それはストレスを軽減するといえるでしょう。
性悪説に基づいて自らを戒める
自分の弱さについては、自分が一番良くわかっています。
楽な方に流れるような弱い心を持っているな、と感じることは日常茶飯事です。
そのような時には性悪説に基づき、人はもともと弱いものだから努力して学ぶために守るべきルールを確立すれば良い、と思えばかなり楽になります。
あとは、守るべきルールを守るだけのことですから。。。
この考え方も、自らのストレスを軽減させることに役立ちます。
あとは努力して学ぶだけ
性善説に基づいて、自分を含む人の可能性を信じ、性悪説に基づいて自らを戒めることができれば、あとは努力して学ぶだけです。
まとめ:性善説と性悪説からの気づき
実践するのは決して簡単なことではないですが、これを何事にでもあてはめると、ストレスを軽減させた楽な考え方ができるはずです。
なぜならそれは中国四千年の歴史の中で生まれ、現代に脈々と受け継がれた知見だからです。
せっかくだから、できるだけ楽に生きてみようではありませんか?
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