「人生100年時代」と言われるようになりました。
ということは、50歳をすぎると人生の折返し地点を過ぎたということになります。
さてこれからどう生きていこうかと悩んだことありませんか?
50代は環境や人生の課題ががらりと変わる年代ですから、一度あらためて考えてみることにしました。
自分では本質的には、若い頃とあまり変わっていないという感覚ですが、人生の課題は明らかに変わりました。
その中でもっとも重要なのは「自分で稼ぐ力」を見極め、試行錯誤を通じて育てていくことで老後の憂いをなくすことという結論です。
本質的な考え方は若い頃と同じ
いろいろ人生経験を通じて、若い頃とは考え方が変わるかなと思ったのですが、実際に50代になった今振り返ってみると、実は本質的な考え方はそんなに変わっていないのかなぁというのが正直な感想です。
「昔から好きなものは今でも好き」ですし、「面倒なことは後回し」っていうのもまったく同じ。
もちろんその時々で、時間のコントロールをしたり習慣を変えようと努力したりしてはいますが、本質的に「好奇心旺盛だけど、面倒くさがりのマイペース」なところは変わらずです。
私の場合、本質的な考え方は20代の頃に確立されているんですね。
他の方もそうなんでしょうか?
でも人生の課題は変わってきた
それでも年代があがるにつれて、人生の中で対応しなければならない課題は変わってきました。
主な新しい課題としては、
という一般的にも指摘されているものですが、それらがいっきに迫ってきています。
介護問題については、父親と義父が続けさまに脳内出血で倒れたり、母親の視力低下で手術をしたりなど想定外の出来事が続きました。
さすがに親世代の高齢者になると、一度倒れると回復まで長引くことが多いので、長期間の周りのサポートが必要になってきます。
幸い私たち夫婦の場合には、それぞれの実家が自宅から近いので、今のところサポートもそれほど大きな負担にはなりません。
しかしながら遠隔地に住んでいる場合には、生活環境を変えなければサポートできないというような状況も発生してくるでしょう。
子育ての最終段階は、私の場合4人の子供がおり、3人が大学生で末っ子が中学生というような具合の50代前半戦ですので、金銭的な面では厳しいものがありますよね。
末っ子が成人するのはまだ先のことですから、最終段階の長期戦というところです。
子どもたちには、とりあえず「出世払いでOK」ということにしています。
そもそも大学の授業料を親が負担するのは、日本の特殊事情といえますので。
老後の憂い
老後に関しては、単純に心配しても意味がありませんが、スマートフォンの字を読むのにしかめ面している自分に気づくと、身体の衰えも自覚せずにはいられません。
今のところ問題はないですが、体の動くうちにやりたいことをやっておこうと思います。
本当にやりたいことはなにか、ふと立ち止まって考えてみた結果、会社や組織などの看板に頼らず、どのような方法であれ「自分の力で稼いで生きていく」ということが最も重要だという結論にたどり着きました。
自分の力でやりたいことをやって、稼ぎながら生きていくことによって、生きがいの醸成や自身の健康への配慮、継続的な社会との関わりの維持ができることが、これからの生き方の最も重要なポイントです。
まとめ:試行錯誤の連続
幸か不幸か、私の場合好奇心は旺盛ですので、今ちょうど施行錯誤の連続のまっただなかにいます。
まずはいろいろと試してみてしっくりきたものを追っていきたいと思います。
「自分の稼ぐ力」を見極め、しっくりきた方法で稼ぎながら生きていければ老後の心配はしなくてよいですよね。
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